論理的思考力とは
2020年から小学校にプログラミング教育が導入されます。
プログラミング教育について、よく「論理的思考力がつく」と説明されます。この理屈だと、プログラムを学んだことがある自分にも論理的思考力がついているはずだけど、「私には論理的思考力があります」とは自信を持って言えないのが正直なところです。
プログラミング教育は、本当に論理的思考力をつける教育となるのでしょうか?
そもそも、何をもって論理的思考力がついたと言えるのか? 論理的思考力とは何かについてまとめてみたい。
以下、メモ。
論理とは
1.
議論の筋道・筋立て。比喩的に、物事の法則的なつながり。
2.
「論理学」の略。また、一つの論理学が立つ体系。
論理思考とは
日常的に使われる「論理的な思考」という表現は、主張に対して妥当な根拠付けがされていることを指す。
(中略)
なお、論理学で扱う論理は、以下の引用における「狭い意味」の範囲である。
論理とは思考に関わる力だと思われがちである。だが、そこには誤解がある。 (中略) 論理力は思考力そのものではない。 (中略) 論理力とは思考力のような新しいものを生み出す力ではなく、考えをきちんと伝える力であり、伝えられたものをきちんと受け取る力にほかならない。
論理的思考力とは
論理に基づいて思考する能力(の高さ)という意味で用いられる表現。道理や筋道に則って思考を巡らせて結論を導いたり、あるいは、複雑な事柄を分かりやすく説明したりできる能力として主に捉えられる。英語の logical thinking(ロジカルシンキング)の訳語としても用いられる。
理論と論理の違いとは
高校時代に習った漢文の読み方を使うと、「理論」は「論じられる理(ことわり)」であり、「論理」は「理(ことわり)に基づいて論じること」と解釈できます。
そして「理(ことわり)」とは何らかの法則を意味しますから、ここから
「理論とは、言葉によって説明できる何らかの法則性、つまりある分野における知識体系を意味する」
と定義することができます。
「バッティング理論」などの使い方が具体例です。それを踏まえて「理(ことわり)に基づいて論じること」を考えると、
「論理とは、何らかの法則性に基づいて論じたり考えたりすること、つまり筋の通った説明や思考の「やり方」を意味する」
と定義できます。
「論理的な説明(思考)」という使い方です。(中略)
つまり「理論」とは、「論理的な思考/説明のベースとなるもの」であり、「論理」とは、「理論を発見するための手段」なのです。
さらにシンプルに違いを説明するなら、こんな言い方ができるでしょう。
「理論はアウプットであり、論理はそのプロセスである」
論理的に表現する必要性
米国では、20世紀初頭に『The Elements of Style』によって、より簡潔な英文についての指針が提示されて以降、意図を的確に伝えることのできる英文を書く能力が重視されるようになった。この流れで初等教育の段階から、文章がどのような段落構成で行われるべきであり、各段落ではどんな文が記述され、文の繋がりはどのように示すべきかが、作文(コンポジション)の授業として教授されている。こうした文章の構成規則に従った文章のことを、『論理的』であると表現することがある。
国際交流が広がった20世紀後半には、日本でもこのような文章構成のあり方が重視されるようになり、英文作成を主題にしつつも日本文にも適用できる『論理的な書き方』を解説する書籍が出版されている。同様な問題意識から、21世紀に入ってからも日本文の作文を『論理的』にするための指導方法の模索が続けられている。